スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年03月07日

格好悪い

先日まで読んでいた『高慢と偏見』でのコミュニケーションツールといえば手紙が主体だった。伝えたいこと、尋ねたいことは手紙に書いて送り、何日かして相手に届き、そしてまた何日か経てやっと返事が届いたり如新集團、届かなかったりだった。届いた手紙は大事に何度も何度も読み返された。

続けて読んだ浅井リョウ『何者』ではSNSが主体に描かれていた。たった今、会って飲み食いしている間にも、その状況がTwitterに流されたりする。あるいはそこで仲間たちが感じたあれやこれやが別れた直後に流れてくる。それは、実際にその場で見たり聞いたりした感じとは微妙に違っていたりもするし、言葉の選び方によっては妙に格好つけているように見える。でももちろん、それが全てではない。選ばれた言葉の裏には選ばれなかった言葉があるし、その方が多いnuskin 如新

そういった現代の学生のコミュニケーションとままならぬ就活を絡めた話を、ああ、こういう人いるよね、わかるわかると主人公の目線になって読んでいると、最後の最後にひとりの女の子から、主人公ともどもしっぺ返しを食った。

「そんなに遠く離れた場所でひとりでいたって、何も変わらないよ。そんな誰もいない場所でこってりと練り上げた考察は、分析は、毒にも薬にも何にもならない。それは、誰のことも支えないし、いつかあんたを助けたりするものにも、絶対ならない」

格好つけていたって何も始まらない、格好悪い自分のままあがくしかない、格好悪いと思われてるの分かってたって、このやり方でやるしかないからやるんだとその女の子は言う。そう言えるあなたも充分格好つけてるじゃんと、わたしは思ってしまう如新香港
格好悪いと分かってても頑張ってるんじゃなく、「誰に何と言われてもじぶん(だけ)はこれが格好いいと思うからやってるんだ」と言えないからこそ、格好悪いのではないのかな。  


Posted by Amy wu at 16:11Comments(0)nuskin
QRコード
QRCODE
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
Amy wu