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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年03月07日

格好悪い

先日まで読んでいた『高慢と偏見』でのコミュニケーションツールといえば手紙が主体だった。伝えたいこと、尋ねたいことは手紙に書いて送り、何日かして相手に届き、そしてまた何日か経てやっと返事が届いたり如新集團、届かなかったりだった。届いた手紙は大事に何度も何度も読み返された。

続けて読んだ浅井リョウ『何者』ではSNSが主体に描かれていた。たった今、会って飲み食いしている間にも、その状況がTwitterに流されたりする。あるいはそこで仲間たちが感じたあれやこれやが別れた直後に流れてくる。それは、実際にその場で見たり聞いたりした感じとは微妙に違っていたりもするし、言葉の選び方によっては妙に格好つけているように見える。でももちろん、それが全てではない。選ばれた言葉の裏には選ばれなかった言葉があるし、その方が多いnuskin 如新

そういった現代の学生のコミュニケーションとままならぬ就活を絡めた話を、ああ、こういう人いるよね、わかるわかると主人公の目線になって読んでいると、最後の最後にひとりの女の子から、主人公ともどもしっぺ返しを食った。

「そんなに遠く離れた場所でひとりでいたって、何も変わらないよ。そんな誰もいない場所でこってりと練り上げた考察は、分析は、毒にも薬にも何にもならない。それは、誰のことも支えないし、いつかあんたを助けたりするものにも、絶対ならない」

格好つけていたって何も始まらない、格好悪い自分のままあがくしかない、格好悪いと思われてるの分かってたって、このやり方でやるしかないからやるんだとその女の子は言う。そう言えるあなたも充分格好つけてるじゃんと、わたしは思ってしまう如新香港
格好悪いと分かってても頑張ってるんじゃなく、「誰に何と言われてもじぶん(だけ)はこれが格好いいと思うからやってるんだ」と言えないからこそ、格好悪いのではないのかな。  


Posted by Amy wu at 16:11Comments(0)nuskin

2014年02月27日

姉たちが賢すぎるのだ

電車の中で、座席でノートパソコンを広げている人を見かける。
駅から駅へと私鉄から地下鉄に移動、乗り換え途中の通路で、ノートパソコンを広げている人もいる。
ノートパソコンを窓側に置き、しゃがみこんで、画面を見ている、サラリーマン風の人。ごくろうさん。
わたしの、ちっちゃいタブレット、あんなかんじのを操作している人は、今のところ、見かけなかった。
見かけるのは、スマホか、ノートパソコン。
ちっちゃいタブレットは、電車で立って操作しにくい。
スマホも両手が必要だろうけれど、ちっちゃいタブレットを片手で持つには、ちょっと長時間は疲れる。
見かけは二つ折れ、スマホじゃないガラパゴス・ケータイで、カッコ悪いが、調べモノや、他のブログを読んだり
自分のブログを書いたり訂正したり、
そういうことは、スマートじゃない見かけほど不自由なくできる。
タブレットは、旅用に取っておくことにしよう。
・・・
ちなみに康泰導遊
高齢の母にブログの概念、仕組み、一般的説明をした。
端末に配られ、届く、と思っているようだ。
新聞みたいに配られるのではなく、自分で取りに行くんだと説明したが、あまりわかっていなさそう。
メルマガや広告みたいに、メールで届くものもあるようだが、ブログのイメージとしては、ちょっと違う。
行きたい場所を調べるための、グーグルなどの説明も、以前、移動中の車の中でした。
「電話番号は検索したらわかるよ」、と、実際に操作し、そのまま、調べた電話番号に電話をかけた。
母は、電話交換手みたいな人が、「ちょっとお待ちください」と、
リアルタイムに直に電話の向こうで番号を探してくれている、と思っているようだった。
「パソコンを通して自分でこっちから探し出したのよ」と、どうせ理解してもらえないだろうと思いつつ、虚しく説明。
絶対にわかっていない。
べつに、わかってなくてもいいし、概念をわかりなさい、というほうが、無理。
が、母は、経済の動きや、世の中の出来事は、テレビのニュースや解説で、興味深く見聞きしている。
それには、やはり感心する。
姉たちは、母が年相応にボケていると言う。少し反応が遅いだけだとわたしは思う。
わたしは、反応の鈍さなら負けていない。
その母のボケぶりをほんの少し、かわいくしたボケぶり、ミニ版である。
なので、あの程度のボケをボケているというのには、非常に抵抗がある。
あくまでも、年齢に応じた、自然な老化現象である。
ということは、わたしは、年齢より先取りか?
まあいい。
姉たちが賢すぎるのだ。
シャープで、頭脳切れ味キレキレの義姉と、
努力家、情報収集、行動力、実践力あり、で、アイデアひらめきもばっちりの姉。
その姉たちと、とろ~んとしたわたしと、母。
ちょうど、不思議なバランスになっている。
三角形如新集團
クイック、スロー、スローー、クイック、スロー、スローー・・・というリズム。
わたしは、姉側に寄ったり、母側に寄ったり。
最近は、ほとんど母側か。
クイック、スローーーー、スローーーー、クイック、スローーーー、スローーーー。

姉たちに、「領収書はどこ? 明細は? 内容は? いつ? どこで? いついつに郵送された書類は? 一連の関連書類は?・・・」
などと、まるで国会の証人喚問のように問いただされる母を見て、
ああ、気の毒~、
・・・わたしなら、次から次へと降りかかる事務処理を忘れて、小さくなって泣きそうになっているだろう。
あるいは、ほったらかして逃走しているかも知れない。
でも、母は、わたしとは性格がまるで違うので(楽天家なところは同じだが)
怖いものなし。
誰も太刀打ちできない、最強の武器である「開き直り」「逆切れ」は、常套手段。
姉があれこれフォローすることになるのだが。
ごくろうさま。
ただし、口では腰が痛いだの、弱弱しいことも言ってみせる母だが、まだまだ現役の気骨満々なので、
なかなか折れない。
姉が母をあれこれ説得するのにも、言葉を丁寧に選んでいる様子。
母は、以前に比べると、かなり老化現象が見られる。
身体も頭脳も寄る年波には勝てず、反応が鈍くなり弱ってきて、やっと老人の仲間入りをしてきたように思う。
・・・
「50代がいちばん、なにもかもが充実した年齢だ」と、母が言う。
体力、気力、知力、経験、その他もろもろ。
なんだって、やれる時期だ、と。
わたしはそうすると、その黄金の50代をさほど生かしていないような、
ただただ、今後来る老後には、きっと出来ないだろうことを今しているだけのような、
そんな気がする。
全然、人の役にも、社会の役にも立っていない。(迷惑もかけていない・・・はず)
それはそれで、いいのか。
さらに老化した頃には、益々、人さまのお役になど、立てそうもないが。
母を見習って、開き直りのセオリーでいくことにしよう。  


Posted by Amy wu at 13:00Comments(0)nuskin

2014年02月15日

夢の世界と言えば

冬季オリンピックが開催されてから寝不足気味。
深夜まで、日々熱い戦いを楽しんでいるというところだろうか。
世界が一つとなり香港如新集團
、夢を追い求める場でもある。

夢の世界と言えば、
童話に描かれているのもそのような世界。
全てが、メルヘンチックで心やさしく育つように書かれたものと思うが、
時には、辛辣でおどろおどろしいものがあったりする。

童話を書いた代表的な人物としては、
17世紀フランスのシャルル・ペローと19世紀初頭 ドイツのグリム童話がすぐにあがる。
ともに伝承されていた話をもとに描いたものがある。
そういったものの中には、たしかに、辛辣なものがある。
また、両者には、同じ『赤ずきん』や『シンデレラ』の話が出てくるが作風は少し違う。
グリム童話にはないが、ペローが書いた童話の後には、
彼の持ち味を活かした「教訓」が出てくる。
たとえば、
『赤ずきん』の後には牛欄牌回收
「美しく愛らしく人好きのする女の子は、ご用心。
そんな子をつけまわしたり、甘ったるい言葉で誘う狼ほど危険なものはないのです。」
と、おせっかいな教訓が出てくる。
また、『シンデレラ』の後は、
「心のやさしさこそ、本当の天からの授かり物です。
これがなければ何もできず、これがあれば何でもできる」
と出てくる。

あまり知られていない童話に『親指太郎』というのがある。
兄弟の中でとりわけ小さく醜い子供が、みんなを救うという活躍を描いた物語。
その童話の教訓はnu skin香港
「人は、そんな小さく醜い子供をバカにしたり、からかったり、いじめたりするが、
一家を幸せにできるのは、ともすると、この小さな醜い子なのです」
と出てくる。

オリンピック競技で、勝ち残ってくるのは、

ともすると、このような選手?!  


Posted by Amy wu at 12:10Comments(0)nuskin
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