2014年02月27日
姉たちが賢すぎるのだ
電車の中で、座席でノートパソコンを広げている人を見かける。
駅から駅へと私鉄から地下鉄に移動、乗り換え途中の通路で、ノートパソコンを広げている人もいる。
ノートパソコンを窓側に置き、しゃがみこんで、画面を見ている、サラリーマン風の人。ごくろうさん。
わたしの、ちっちゃいタブレット、あんなかんじのを操作している人は、今のところ、見かけなかった。
見かけるのは、スマホか、ノートパソコン。
ちっちゃいタブレットは、電車で立って操作しにくい。
スマホも両手が必要だろうけれど、ちっちゃいタブレットを片手で持つには、ちょっと長時間は疲れる。
見かけは二つ折れ、スマホじゃないガラパゴス・ケータイで、カッコ悪いが、調べモノや、他のブログを読んだり
自分のブログを書いたり訂正したり、
そういうことは、スマートじゃない見かけほど不自由なくできる。
タブレットは、旅用に取っておくことにしよう。
・・・
ちなみに康泰導遊、
高齢の母にブログの概念、仕組み、一般的説明をした。
端末に配られ、届く、と思っているようだ。
新聞みたいに配られるのではなく、自分で取りに行くんだと説明したが、あまりわかっていなさそう。
メルマガや広告みたいに、メールで届くものもあるようだが、ブログのイメージとしては、ちょっと違う。
行きたい場所を調べるための、グーグルなどの説明も、以前、移動中の車の中でした。
「電話番号は検索したらわかるよ」、と、実際に操作し、そのまま、調べた電話番号に電話をかけた。
母は、電話交換手みたいな人が、「ちょっとお待ちください」と、
リアルタイムに直に電話の向こうで番号を探してくれている、と思っているようだった。
「パソコンを通して自分でこっちから探し出したのよ」と、どうせ理解してもらえないだろうと思いつつ、虚しく説明。
絶対にわかっていない。
べつに、わかってなくてもいいし、概念をわかりなさい、というほうが、無理。
が、母は、経済の動きや、世の中の出来事は、テレビのニュースや解説で、興味深く見聞きしている。
それには、やはり感心する。
姉たちは、母が年相応にボケていると言う。少し反応が遅いだけだとわたしは思う。
わたしは、反応の鈍さなら負けていない。
その母のボケぶりをほんの少し、かわいくしたボケぶり、ミニ版である。
なので、あの程度のボケをボケているというのには、非常に抵抗がある。
あくまでも、年齢に応じた、自然な老化現象である。
ということは、わたしは、年齢より先取りか?
まあいい。
姉たちが賢すぎるのだ。
シャープで、頭脳切れ味キレキレの義姉と、
努力家、情報収集、行動力、実践力あり、で、アイデアひらめきもばっちりの姉。
その姉たちと、とろ~んとしたわたしと、母。
ちょうど、不思議なバランスになっている。
三角形如新集團。
クイック、スロー、スローー、クイック、スロー、スローー・・・というリズム。
わたしは、姉側に寄ったり、母側に寄ったり。
最近は、ほとんど母側か。
クイック、スローーーー、スローーーー、クイック、スローーーー、スローーーー。
姉たちに、「領収書はどこ? 明細は? 内容は? いつ? どこで? いついつに郵送された書類は? 一連の関連書類は?・・・」
などと、まるで国会の証人喚問のように問いただされる母を見て、
ああ、気の毒~、
・・・わたしなら、次から次へと降りかかる事務処理を忘れて、小さくなって泣きそうになっているだろう。
あるいは、ほったらかして逃走しているかも知れない。
でも、母は、わたしとは性格がまるで違うので(楽天家なところは同じだが)
怖いものなし。
誰も太刀打ちできない、最強の武器である「開き直り」「逆切れ」は、常套手段。
姉があれこれフォローすることになるのだが。
ごくろうさま。
ただし、口では腰が痛いだの、弱弱しいことも言ってみせる母だが、まだまだ現役の気骨満々なので、
なかなか折れない。
姉が母をあれこれ説得するのにも、言葉を丁寧に選んでいる様子。
母は、以前に比べると、かなり老化現象が見られる。
身体も頭脳も寄る年波には勝てず、反応が鈍くなり弱ってきて、やっと老人の仲間入りをしてきたように思う。
・・・
「50代がいちばん、なにもかもが充実した年齢だ」と、母が言う。
体力、気力、知力、経験、その他もろもろ。
なんだって、やれる時期だ、と。
わたしはそうすると、その黄金の50代をさほど生かしていないような、
ただただ、今後来る老後には、きっと出来ないだろうことを今しているだけのような、
そんな気がする。
全然、人の役にも、社会の役にも立っていない。(迷惑もかけていない・・・はず)
それはそれで、いいのか。
さらに老化した頃には、益々、人さまのお役になど、立てそうもないが。
母を見習って、開き直りのセオリーでいくことにしよう。
駅から駅へと私鉄から地下鉄に移動、乗り換え途中の通路で、ノートパソコンを広げている人もいる。
ノートパソコンを窓側に置き、しゃがみこんで、画面を見ている、サラリーマン風の人。ごくろうさん。
わたしの、ちっちゃいタブレット、あんなかんじのを操作している人は、今のところ、見かけなかった。
見かけるのは、スマホか、ノートパソコン。
ちっちゃいタブレットは、電車で立って操作しにくい。
スマホも両手が必要だろうけれど、ちっちゃいタブレットを片手で持つには、ちょっと長時間は疲れる。
見かけは二つ折れ、スマホじゃないガラパゴス・ケータイで、カッコ悪いが、調べモノや、他のブログを読んだり
自分のブログを書いたり訂正したり、
そういうことは、スマートじゃない見かけほど不自由なくできる。
タブレットは、旅用に取っておくことにしよう。
・・・
ちなみに康泰導遊、
高齢の母にブログの概念、仕組み、一般的説明をした。
端末に配られ、届く、と思っているようだ。
新聞みたいに配られるのではなく、自分で取りに行くんだと説明したが、あまりわかっていなさそう。
メルマガや広告みたいに、メールで届くものもあるようだが、ブログのイメージとしては、ちょっと違う。
行きたい場所を調べるための、グーグルなどの説明も、以前、移動中の車の中でした。
「電話番号は検索したらわかるよ」、と、実際に操作し、そのまま、調べた電話番号に電話をかけた。
母は、電話交換手みたいな人が、「ちょっとお待ちください」と、
リアルタイムに直に電話の向こうで番号を探してくれている、と思っているようだった。
「パソコンを通して自分でこっちから探し出したのよ」と、どうせ理解してもらえないだろうと思いつつ、虚しく説明。
絶対にわかっていない。
べつに、わかってなくてもいいし、概念をわかりなさい、というほうが、無理。
が、母は、経済の動きや、世の中の出来事は、テレビのニュースや解説で、興味深く見聞きしている。
それには、やはり感心する。
姉たちは、母が年相応にボケていると言う。少し反応が遅いだけだとわたしは思う。
わたしは、反応の鈍さなら負けていない。
その母のボケぶりをほんの少し、かわいくしたボケぶり、ミニ版である。
なので、あの程度のボケをボケているというのには、非常に抵抗がある。
あくまでも、年齢に応じた、自然な老化現象である。
ということは、わたしは、年齢より先取りか?
まあいい。
姉たちが賢すぎるのだ。
シャープで、頭脳切れ味キレキレの義姉と、
努力家、情報収集、行動力、実践力あり、で、アイデアひらめきもばっちりの姉。
その姉たちと、とろ~んとしたわたしと、母。
ちょうど、不思議なバランスになっている。
三角形如新集團。
クイック、スロー、スローー、クイック、スロー、スローー・・・というリズム。
わたしは、姉側に寄ったり、母側に寄ったり。
最近は、ほとんど母側か。
クイック、スローーーー、スローーーー、クイック、スローーーー、スローーーー。
姉たちに、「領収書はどこ? 明細は? 内容は? いつ? どこで? いついつに郵送された書類は? 一連の関連書類は?・・・」
などと、まるで国会の証人喚問のように問いただされる母を見て、
ああ、気の毒~、
・・・わたしなら、次から次へと降りかかる事務処理を忘れて、小さくなって泣きそうになっているだろう。
あるいは、ほったらかして逃走しているかも知れない。
でも、母は、わたしとは性格がまるで違うので(楽天家なところは同じだが)
怖いものなし。
誰も太刀打ちできない、最強の武器である「開き直り」「逆切れ」は、常套手段。
姉があれこれフォローすることになるのだが。
ごくろうさま。
ただし、口では腰が痛いだの、弱弱しいことも言ってみせる母だが、まだまだ現役の気骨満々なので、
なかなか折れない。
姉が母をあれこれ説得するのにも、言葉を丁寧に選んでいる様子。
母は、以前に比べると、かなり老化現象が見られる。
身体も頭脳も寄る年波には勝てず、反応が鈍くなり弱ってきて、やっと老人の仲間入りをしてきたように思う。
・・・
「50代がいちばん、なにもかもが充実した年齢だ」と、母が言う。
体力、気力、知力、経験、その他もろもろ。
なんだって、やれる時期だ、と。
わたしはそうすると、その黄金の50代をさほど生かしていないような、
ただただ、今後来る老後には、きっと出来ないだろうことを今しているだけのような、
そんな気がする。
全然、人の役にも、社会の役にも立っていない。(迷惑もかけていない・・・はず)
それはそれで、いいのか。
さらに老化した頃には、益々、人さまのお役になど、立てそうもないが。
母を見習って、開き直りのセオリーでいくことにしよう。
Posted by Amy wu at 13:00│Comments(0)
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